あの時あなたを応援してて楽しかった
ずーっと書き残したいなぁ。って思っていたのにどうも書けずに気づけばもう最後の日。
つらつら〜と思い出に浸りながら自分が忘れないように書いただけなのでいつも以上にただの備忘録。
もう、いまだにさすがにごーんと打ちのめされた感じで信じたくないことが起きてしまって、立ち直れそうにはない今日この頃。
呑気に翌日の関西現場のレポを探ってるわたしに届いたお知らせ。
Jr内グループ「Love-tune」ついて
退所時期
……
森田美勇人 2018年12月31日
見間違いだと思った。
正直、美勇人は絶対に残ると思ってたしそういった噂も聞いてすっかり信じてしまってからこの文字が全然頭に入ってこなかった。
なにがどうしてこうなった?
え?踊るの好きだったんじゃないの?
なんでまた退所なの?
だってだってだって…
言い出したらキリがないくらいに、なんで?どうして?って言葉ばかり頭の中がぐるぐる回ってて。
こんな言ってても所詮わたしは今現在は美勇人担でもなければらぶ担でもないし、関東担でもない。
そこからは離れた関西担だけれども、わたしのヲタク人生で美勇人くんって大きいからどうしても「へーあら大変」って他人事にできない。
わたしが美勇人担としてみてきた美勇人くんって本当にかっこよくて、デキジュでダンスも上手くて…本当に本当に応援してて誇らしく思うくらいで。
薮光担だらけのなかバックで踊る姿をみたくて行ったあの番協の神谷町から始まったわたしの美勇人担としての思い出はどれも今でも大切なもので。
最初の頃はヲタクの中でよくある「誰担ですか?」って問いに
「森田美勇人くんです。」
って言っても9割の人たちには「森田美勇人?誰?」って言われてたくらいだったけど(笑)
それでも誰よりもかっこよくて自慢の担当くんで、当時のブログにも残してたけど、公演に行くたびに美勇人くんを応援しててよかった。って思わせてくれるアイドルでした。
わたしのヲタ活のなかでも嬉しいことが多かったのは多分美勇人担だったときなんだろうなって最近本当に思うし、もちろんちょうど高校生って時間もお金も使いどころを自分が決めれるタイミングでってことも理由のひとつではあると思うけど。
ずっとずっと事務所にはいて欲しかったなぁ。
ズル賢いけど担当ってことを辞めてからも陰ながら応援してたから本当につらくて仕方ない。
でも、美勇人くんの最後の現場行けなくて後悔してる?って言われた時に
即答でないって答えが出てきて。
それは、PZで選ばれてメインとして出たとき
ヘッドセットを付けて少クラで歌えたとき
少年たちで一言だけでも台詞があったとき
歌舞伎で新撰組の浅葱色の羽織を着てたとき
えび座で1曲歌えてたとき
アクロバットも頑張って地方公演につけたとき
クリエでちゃんと名前がでたとき
大運動会で東京ドームの大画面に映ったとき
数え切れないくらい素敵な景色を美勇人くんを応援しててみれたから本当に後悔はなくて。
これは担当を辞めたあとだけど、
ANOTHERで村長として日生劇場の0番で美勇人くんの声ひとつで物語が動く姿を見れたことは本当に本当に嬉しかった景色。
EXの時にいろんな人が美勇人が抜けることに悲しんでたことがすごく嬉しかったなぁ。
悲しんでくれる人がこんなにもたくさんいるのか!ってメンバーからも支持してもらえてるんだなぁ。って。
正直わたしはトラジャの美勇人が好きだった訳ではなくて、兄組の4人が好きだったからきっと拡輝が抜けてしまったあの日が終わりの日だったんだろうなって改めて思う。
だから私の中では悔いなくあの頃全力で4人をちゃんと見れていたしありがたいことに映像化になっているから悲しくて仕方ない時はあのPZや歌舞伎を見れば私が大好きだったあの頃の4人には会えるから…
しっかりと小箱に大好きだった4人を詰めて心に残すことにします。
名前うちわを作ったのも、
ファンレターを書いたのも、
バック目当てでいろんな公演入ったのも、
ジャニショで複数枚買うようになったのも、
全部美勇人くんが初めてで。
本当に本当に応援してて楽しかったです。
Jr担の楽しさは全部美勇人くんを通して知ったことでした。
下剋上って言葉は美勇人くんにぴったりって思うくらい、無所からぐーっと登りつめて…
もちろん忘れちゃいけないような悪いこともあったけど(笑)
努力と実力で這い上がってくれたなって思う。
美勇人くんのファンサする時に必ずやってたお辞儀が嬉しかったし大好きでした。
美勇人くんの脚の裏にバネがあるのかと思うくらいの軽いダンスが大好きでした。
美勇人くんの笑った顔が大好きでした。
いつかまた楽しそうに踊る姿が見れますように。
願わくば大好きな4人…あのときの戦友の5人がいつまでも目には見えなくても
ずっと仲間 でいてくれますように。